玉鉾会の鎮魂呪法

伯家神道行法と幽斎神事(審神神事)

現在、どこの団体でも行っておられる「ひふみ祝詞」「三種の禊祓い」の行法をもって、あたかもこれが伯家神道として捉えておられる向きがありますが、現今行われている行法は「幽斎」に入る為の修行の段階であると捉える必要があります。

行法は男女、その人の性格、その人の受け入れ方、御魂の違いからどうしても遅い早いの違いがあります。そこから遅い人は焦りが生じてきますがそこは気にしないで頂きたい。重要なことは如何に幽斎神事に辿り着けるかに掛かっています。早く上達に越したことはありませんが牛歩、亀の歩みでも、誰しも必ず到達していく道です。

お道の行では「我が身を神籬とする」といいます。どういうことかと言いますと、我が身に神を迎えて「神人一体」となることです。神を我が身に迎えるには、穢れた心身では神を招くことはできません。それ故に祓いに祓いをかけて祓い清めて、造化三神(伯家神道で祀る神)から与えられた我が身の神徳なる徳器に磨きをかけて光り輝く魂を祓い清めるわけです。

祓い清める事により、神のみ心に適うミタマとなりえるのです。「神人一体」となることにより自ずと運気が開かれて行きます。神代の神族なる神人に伝わる道なれば、わが国が神国日ノ本の国と言われる所以がここにあります。

“かむながらの道”が唯一残されている世界でも稀なる国が日本ではないかと思います。竹内文書記載の釈迦、キリストなどの世界の聖人賢者が日出る日ノ本へ来た説もまんざら嘘ではないかと思います。私の所へは、40年前から仏教関係の人達でも真言宗の僧がこのお道のお行に参加されておられます。十種神寶図が伝承されていることより何らかで弘法大師との関わりがあるのではと思います。

伯家神道行法は、修業の段階の「お道の行法」と、「幽斎神事」である「審神神事」とに区別されます。

霊動法1

審神(さにわ)

和学教授所では伯家神道の「お道の行法」を「惟神道神傳相承審神古傳」、「審神神事神傳相承修行法」と伝えております。「審神」とは幽斎神事が出来てこその言葉です。

私が知る処では、「審神」ができる人は現在数少ないのではないでしょうか。「審神」を行うには、それまで数多くの幽斎神事の修練を積み重ねると共に経験が重要になってきます。「審神」こそ古代呪術社会の王たる祭祀職の重要な役職です。高浜清七郎が「審神」をあへて掲げていることは伯家神道そのものが王たるものが行う「審神神事」であるからです。

この和学教授所の「審神神事」を今に唯一継承しているのが「玉鉾会」になります。

白川一門に、後世に残されている言葉に

「天子様は居ながらにしてこの世の動きが分かる」

との言葉が伝わっています。これは宮廷の中におられても世の中の社会情勢がお分かり頂いておられるという事で、幽斎神事(鎮魂呪法)を行っておられればこその言葉です。鎮魂呪法を斎行することにより、神を通じて外の情勢を知るすべを行っていたと言う事になります。

伯王家が行った神事には、大きな行事として天皇即位の大嘗祭があります。一年間の年の内を通じての大祭は、11月中の寅の日の鎮魂祭になります。今では石上神宮などの鎮魂祭が有名ですが、そもそもは伯王家が執り行う宮中最大の祭りの一つになります。

天皇、摂関のお身をお祓い申し上げると共に、天皇の宝寿祈願が行われていました。そしてその他に行われていた「祝部殿の御法」こそ、幽斎神事に他なりません。

神女を中央に座し、現況を知る神託を聞く「神移し」「口移し」が行われていたのです。神託がおりたのを判断するのが審神(さにわ)の役職です。お行があってこその神事。これこそが伯王家が行った、伯王家に伝わる神事です。

御鏡御拝

ミタマフリのハフリの神事に「御鏡御拝」があります。伯家神道で設ける鏡は、表裏二面の合わせ鏡です。

この「御鏡御拝」は天祖瓊瓊杵尊が天降る時に、天照大神から授かる三大神勅によるものです。「この鏡は専ら我が御魂として吾が前に拝むが如くいつき奉れ」に基づきます。代々歴代の天皇は「御鏡御拝」をうけることにより、天照大神の四魂(荒魂・和魂・幸魂・奇魂)を頂き、神人合一、神人一体のミタマとなられるのです。

お取立て

応仁の乱にて京の街が焼亡したことで、白川家では祝部殿を私邸で祀るようになります。それ以後は明治になるまで「お取立て」は白川邸で行われてきました。

祝の神事のお行を「お取立て」をするといいます。斎場の中へは伯王(明治以降神事長)・審神者・祓主・中央に座す神代・祝女(ハフリメ)とも八柱・八乙女ともいう八人の女性が座します。

そして最も重要な神座が「祝部殿」の斎場にあります。そこにおられる神名と場所は口秘となり、伝承されているのはごく一部の人だけに伝授され秘伝となっています。

行法 その3行法

祝部殿の神事

古代日本では、天皇がおられる御所には南東の方向に神祇官が勤める建物がありました。そこには東院、西院(斎院)とに分かれ、神祇官が祀る神殿は西院にあります。西院には八神殿と祝部殿があり、祝部殿は八神殿の南に位置しています。

祝部殿は、斎部殿、斎戸殿、刀禰殿ともよばれ、八神殿で行われた鎮魂祭で結ばれた御玉緒の糸を結んだ箱が神祇伯によって祝部殿に祀られます。そこで12月に行われる祭りが斎戸殿の鎮祭です。

その祝部殿に日常奉仕する女性が御巫と言われる女性で、祝部殿に寝起きして神に奉仕する女性です。そこで行われるのが「祝部殿の神事」です。

御巫(みかんなぎ)

延喜式には宮中鎮魂祭当日、白川伯王家が御巫・神部を引き連れて祭祀を奉仕したことが記載されています。

御巫ミカンナギは、八神殿・祝部殿において神事に奉仕する女性のことで、御巫ミカンコとも言います。伊勢神宮の斎宮イツキノミヤ・賀茂神社の斎院又はアレオトメ・熱田神宮の惣の市・鹿島神宮の物忌モノイミ・厳島神社の内侍ナイシ・美保神社のイチが著名です。

一般の市井では、巫女・市子・神巫と書いて「イチコ」と呼びます。俗に「市子さん」ともいいます。神懸かりとなって神霊・生き霊・死霊を呪文を唱えて招き寄せ、その意中を語ることをなした。鈴振り子・湯立神子・神楽神子・梓巫アズサミコともいいます。

伯家神道の幽斎神事

現代の伯家神道行法の中にもそれに似た幽斎神事が行われています。「物忌みの伝」「御座立ての神法」とも言われるものです。

御座オサ立て」と言うと御嶽教が有名です。御嶽教は、神道大成派から独立して1882年(明治15年)平山省斎によって開教された神道十三派の一つです。平山省斎並びに神道大成派は、高浜清七郎から神道行法・幽斎神事を教授指導を受けておられます。その時の伝授なのか、又は御岳山開山の覚明行者、普寛行者の修験秘法が伝わったものかは定かではありません。

玉鉾会のお行・神事

玉鉾会では、お行の修行は通常、参加者に「お取立て」と申し上げておりますが、お行が進まれた人には幽斎神事を行っています。それが和学教授所教本に記載されている「お祓い神事・神事祈祷の伝」になります。その中の「忌廻清廻の伝」「御座立ての神法」を掲載します。

忌廻清廻の伝 その2忌廻清廻の伝 その1

忌廻清廻の伝 その3忌廻清廻の伝 その2

御座立ての神法御座立ての神法

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[更新日]  永川辰男

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