Q. 現在の伯家神道の流れについて

私が知る限り、現在の伯家神道の流れを大別すると高浜清七郎開設の和学教授所と井上正鐵を開祖とする身禊講から派生した教団に分けられます。その中でも、明治時代において和学教授所の教えは高浜清七郎によって神習教を始め各教団の幽斎神事、鎮魂行法として現存。現在の大半の神道教団にはいくらかの和学教授所からの神事行法が流れております。

但し行法は正統に伝承されることなく、教団によっては継承されることなく埋没してしまったか、自らの教会の行法にアレンジしたところが多いようです。

昭和に入ってからは中村新子女史に破門された小笠原大和氏が大和本学が開教。現在、伯家神道を名乗っているところの80%はこの大和本学の流れになります。半面、生徒の入門に厳しかった和学教授所は独立分派を許さずに僅かな人達によって継承されていきます。大和本学を起こされた小笠原大和氏は篤神家、勤勉家であると共に、神道を熱心に研究されていたと聞いております。元々は大本教信者でもあったようです。

祈祷、運勢占術、家相学、神道行法の指導などによって生計を立てていた小笠原氏は信者、一般の人達を多く受け入れていました。その中に小原女史がおいでになられ、小笠原氏亡き後の信者の祈祷などを山科で行っておられました。小原女史が修行されたのは小笠原氏が京都山科に一時住んでおられたのと義母の誘いのようです。その大和本学の人達が近江神宮の場所を借りて行っている団体です。

経緯を把握していない人は勘違いされておられますが、大津でのお行は小原女史指導の大和本学です。お行の内容には違いがあり、破門された和学教授所と区別するために小笠原氏が大分と内容をアレンジしたところがあります。

当時、私は近江神宮伯家神道奉賛会の事務局でしたが、和学教授所継承保存の為にお行は新宮宮司、諸先輩の人達より修業を頂きました。その時一緒に修行されておられたのが高浜浩氏です。まだ京都大丸デパートで働いておられて休暇を取っては修業に来られていました。6年程ご一緒させて頂きましたが、私が修行している時は斎場に入るでなくいつも廊下で見学されておられました。高浜氏、新宮宮司とは3人でよく伯家神道のことなど色々な話を行いました。

それと合わせて、私がお道の行法を学ばせて頂いたのが、中村新子女史の後を受け継がれた安見晴子先生です。同じ県内の神職仲間であった安見先生からは「母が生きていたらどんなに喜ばれた事でしょうか。此れからお道の行法の道統をよろしくお守り願います」と言われて幾多の和学教授所秘伝を継承致しました。

当時、伯家神道のお行をされる人は誰もおられませんでした。まさにお道の行法が絶えなんとする時でありましたので安見先生を始め、ご高齢の諸先輩からは非常に喜んで頂きました。確かに当時は伯家神道の言葉さえを知らない人が多く、まさに継承が絶えなんとする時でもあります。ここにおいて、白川家廃絶後の和学教授所神事秘伝の伝承を保つことが出来ました。お道の行法、神事秘伝には細かな約束事、忌事、所作、立ち居振る舞いがあります。事務局をしていたことより大和本学と和学教授所の両方の神事行法を知ることとなる、他にはない経験を持つものです。

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[公開日]  永川辰男

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