Q. 何故、伯家神道のお行をするのか

伯家神道を修業されている人は今至る所で行っているお行を伯家神道そのものと思われている向きがあります。現行、各所で行われているお行は言葉通りに修行です。それでは何の修行をしているかと言うと審神神事に適うようになるための修行なのです。

現代信仰の宗教感覚は現世利益の感覚を持っている人が多いです。それはそれなりにその様な信仰の在り方も昔より信仰されて来ています。その代表が稲荷信仰です。江戸時代の町人文化、商業の発達により信仰的対象になりました。宗教は時代と共にその時代の求められるものに信仰されてきているようです。時代を反映されているものと思います。

それを思うと現在の現代宗教にもそのニーズがあるのかも知れませんが、古い人間から見ると屈折したビジネス宗教にしか思えてなりません。人間の持つ弱い部分をそのまま委ね過ぎていないかと思うのです。昔から自ら気を高めるべきで、「猛る者に神宿る」と言います。自らの行動の後に神が後押ししてくれるものです。自らが動かずして神が動いてくれるはずがありません。何故ならば自らに宿る神が動いていないからです。そこの所が分かっていない人が多い気がします。

伯家神道もそもそもは天皇の側近くに仕える私設祭祀です。それ上に平安時代の行政構成においても八省から独立した神祇官のみが存在しているのです。それは神祇官の斎院に奉仕する御巫、祝女によって天皇の玉体の祓い、口寄せ、祈祷を行った施設だからです。御巫が語る口寄せによってどのような行動をとったが良いかを天皇陛下自らが判断されました。

明治時代に高浜清七郎は神懸る口寄せの物忌みを行っていましたが、それが現代になってうまく継承されずにお行のみが即ち伯家神道のお行だとしている団体が多いです。それは審神神事は和学教授所では秘として伝承されるものでしたから、継承に相応しくない人には免除されませんでした。破門された小笠原大和の大和本学にもそれは継承されておりません。

その流れが主になっているが上に、その部分が割除されてお行のみを伯家神道と勘違いしているのです。一言でいえば知らないままで来ているのです。神人一体と言う言葉は残っているのですが、それでは何のための神人一体かが理解されていないと思います。お祓いの行とは審神神事に入るためのお行をしているのです。

お行は厳しいもので簡単にお行が進むものではありません。お行するとすぐに位が頂かれるものと思っている人が最近多くなりました。何事も「一芸十年」です。神道行法はそれでも足らない位です。八種を受けられる人でも数年かかる人もいます。そもそも九種が自らの祓いですから、早い人でも半年から1年は掛かるのも無理ありません。その人ほど真のお行をされている人であるという事が言えます。

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[公開日]  永川辰男

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