行事・神事 開催実績

[更新日]  永川辰男

鎮魂大祭 11月14日

伯家神道を継承し指導している玉鉾会では、白川伯王家の鎮魂祭の古文献に基づいて「鎮魂大祭」を斎行して来ております。今年は大嘗祭でもあり、11月14日に斎行。大嘗祭でもあり全国から門人が集まって頂きました。いつもの時間通りに午前11時から始まって午後1時に終了。食事を早めにとって参加者全員で熱田神宮へ参拝。桑名へ戻りこの日は参篭です。

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[更新日]  永川辰男

大嘗祭奉告祭

明治2年神祇制度改変と共に白川家は神祇伯を返還。それ以後、皇室では伯家神道は持ち入れられることはありません。そこで歴代の和学教授所の一門は陰ながら大嘗祭と合わせての祓いを修して参りました。大正天皇、昭和天皇は中村新子を始めとしての一門。

大嘗祭奉告祭斎行の為に、その日は玉鉾会では参篭です。斎食と言ってもお茶、コーヒーなど飲むことは慎まれています。禁煙、食事を取らないのが決まりですが、夕食は「ぜんざい」のみを食べて悠紀の儀と合わせて斎行。主基の儀が終わり全てが終わったのが午前3時前。外へ出て北極星と北斗七星を拝す。これまでにない晩秋の星空でもありました。

参加者も夜空を見る度にこの日のことを思い浮かべて頂けるのではないでしょうか。その後2時間ほど仮眠して早朝伊勢神宮へ参拝。参列者皆様には厳粛なお祭りと玉鉾会に伝わる和学教授所の本来の教えの意を理解して頂きました。

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[更新日]  永川辰男

重陽節句祭 9月23日

台風17号の影響から遠路来られる人を心配しましたが、意外にも雨の予報から一転して晴となり、重陽節句祭を斎行。

神事は古神道行法に則って行い、この日のメインは宮中でも食されていた「萱粥の神事」です。食材は我が家で取れた無農薬野菜で作った料理。

新暦9月9日が重陽節句ですが、その日でしたらすすきのの穂が出ていないので旧暦に近い日になってしまいます。

神社によっては古くより薄の穂を使った萱の神事は残されています。それは秋の実りと共に穂を積むことより「穂積」をススキと読む古代からの縁起によるものです。

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[更新日]  永川辰男

若狭三方縄文博物館見学

20年ぶりに三方五湖へ行くと、いつの間にか舞鶴若狭自動車道が出来ていてビックリ。「若狭三方縄文博物館」が出来たのも知りませんでした。

実は40年前鳥浜貝塚、ユリ遺跡出土の丸木舟のニュースを見て、当時、そちらの出土資料を送って頂きました。今回見たかったのが丸木舟、漆塗りの櫛、それと隣接の年縞博物館です。

現代でも身近な栗、クルミ、荏胡麻等を食べていたようで、縄文時代の食べ物も掲載されていて、縄文時代の生活様式が分かり易く説明されていました。この地のの縄文人は三方五湖に守られている事より定着型の農耕文化をいち早く取り入れていたのかも知れません。

若狭三方縄文博物館見学01

若狭三方縄文博物館見学02

若狭三方縄文博物館見学03

若狭三方縄文博物館見学04

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[更新日]  永川辰男

年縞博物館

縄文文化遺跡を訪ね歩いている私としては、以前から古代の年代設定に疑問を持っています。本当にその年代は正確なのかと。それが間違っていると世界の歴史は変わってしまいます。

それを解決したのが三方五湖の水月湖の年縞です。年縞とは採取された縞模様の泥が「年縞」です。水月湖の年縞は7万年45mも連続して積み重なっているそうです。年縞によって過去の気候変動、天変地異を知る事が出来ます。

この水月湖の年縞は「世界標準の物差し」になっています。それによって、これまで設定された考古学の年代に多少のズレが発見されました。年代測定の制度を従来より飛躍的に高めたのです。

北陸、若狭へ行かれたら一度はお立ち寄りください。

年縞博物館01

年縞博物館02

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[更新日]  永川辰男

七夕節会祭 7月7日

梅雨空が続く中、天気を心配しておりましたが昨夜来の雨も上がり、恒例の七夕神事が斎行できました。

全国から多くの祈願短冊が届き、その前に神饌をお供えして祝詞奏上の後に歌占いの歌合わせを行いました。

優秀な作品が今年も出来上がりました。今年は不思議と令和の年の初めに相応しい御代代わりに関わるような歌が出来上がりました。

この日に食べるの七夕の天の川にちなんで内清浄の食べ物です。蛤うどん、索餅、水餅、豆腐、蒟蒻煮などなど。

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[更新日]  永川辰男

審神神事神傳相承物忌み神事 6月2日

楽古舎で6月2日「審神神事神傳相承物忌み神事」を全国からの門下生参加のもと開催しました。

斎場の八方を「忌火の伝」にて清祓いを行ったのちに梓弓を弾いて神事斎行。女性3人、男性1人の神代になって頂き行いましたが、初めて行われた割には順当に行われました。

神が依りつき「口を切る」事が出来ましたが、1人の男性には「倭姫命」が神懸られ「令和」の御代の口移しが出来ました。やや緊張した空気の中に終始致した次第です。

当会には和学教授所より伝承された秘伝が数多くの現存伝承されております。その中の一つでもあります。

審神神事神傳相承物忌み神事_01

審神神事神傳相承物忌み神事_02

審神神事神傳相承物忌み神事_03

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[更新日]  永川辰男

守屋神社参拝と守屋山登拝 5月12日

二日酔いの状態で守屋神社参拝。御祭神は物部大連守屋。茅葺屋根の御本殿の上に石で作った奥宮がありました。拝殿、本殿、奥宮と言った三層の構造です。

その奥宮でなんと五円玉を拾いました。昭和三十九年の年号。数占いをやっている私はこれがなんと易の「艮為山」ではないか。国家安泰と天皇陛下弥栄の祝詞を上げたので神に通じたのか。此れから山に登ろうとする私には神より授けられた吉兆です。

いざ登山、これがなんとエライこと、心臓パクパクの急な山道でした。昨日の酒が出ているのか、飲み過ぎたのか、頂上はそこかそこかと思いながら登頂。頂上には石の御本社が鎮まっています。

そこで祝詞を上げ四方の山の神に拝礼。昨日は琴の演奏でしたが、今日は篠笛で「コンドルは飛んでいく」を演奏。山の下ではコンドルではなく鳶が「「ピーヒョロロ」、木では鶯が「ホーホケキョ」鳥達と合奏出来ました。

守屋神社参拝と守屋山登拝-01

守屋神社参拝と守屋山登拝-02

守屋神社参拝と守屋山登拝-03

守屋神社参拝と守屋山登拝-04

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[更新日]  永川辰男

井戸尻考古館見学 5月11日

縄文文化に興味のある私は長野県の井戸尻遺跡に縄文遺跡を見学してきました。

館長の小松さんに丁寧に色々と説明を頂き、いつの間にか昼近くになり、午後からは演奏会のため慌てて演奏会場へ移動。又ゆっくり見たいものである。

展示物の縄文遺跡から出土した弓が「梓」の木かなと思っていましたが「榧」の木のようです。

井戸尻考古館見学

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[更新日]  永川辰男

一弦琴演奏会 5月11日

山梨県の八ヶ岳山麓の古民家で演奏会を行いました。十数年前から八ヶ岳で演奏を行いたいと思っていたのがやっと念願叶いました。

演奏と合わせてやまとごころなる「もののあはれ」の話を致しました。山梨、長野はその昔「梓弓」を作る梓の木を献上していた国です。そこで「梓弓」を演奏しました。

その後は古民家の蔵で宴会です。飲んだ飲んだいつ寝たのか、いつ人が帰ったのか覚えていない。朝起きたらどういうわけかちゃんと布団の中で寝ている自分がいました。

山梨一弦琴演奏会-01

山梨一弦琴演奏会-02

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